2012年1月10日火曜日

パラダイスという名の洗脳夢について/メモリの童話集

先日観に行ったASYL公演で知り合った、演出家/舞踏家の方が主催する「メモリの童話集 http://ameblo.jp/miffy-cafe/」初公演の「パラダイスという名の洗脳夢について」を荻窪G-screw-dance-Laboで観た。

荻窪に降り立つのは2年半ぶりくらいになるだろうか。
とても思い出深い、自分にとって特別な街のひとつだ。
駅前のビルの中、こぢんまりとはしているが劇場があることなど知らなかった。
よく訪れていた当時は舞踏や舞台と絡むことも興味もなかったから当然か。
埋もれていた色々な記憶や思考といま現在の感覚や思考が混ざり合い、それが公演を観るための準備になった。


2011年というのはどうやっても忘れることはできないし目をそむけてはならない年だったが、
まさに2011年ならびに「いま、現在」を思考する人の脳内を覗き見するような70分だったと思う。

作品は演出家が自分の脳神経と絡み合い踊りながら、意識や無意識にアクセスしようとしているような内容に感じた。
演出家自身が今回の作品は観やすくポップな意識で作ったと言っていたように、
60's70'sのような色彩も交えながら現代について自分自身のあたまで考えるよう訴えてくる直接的な演出はとても印象的で、その直接さは「いま」必要な姿勢だと思う。
また年明け早々というタイミングで観たことも、この公演と2011年を余計にリンクさせたのかもしれない。
自分もあらためて2011年ならびに「いま、現在」について考えてみようと思った。

無意識にアクセスしようとしていると言ったが、拒否反応を起こすほどの無意識内を抉る内容ではなかった。
しかしもし演出家が、自分の内側を晒すことの他者に及ぼす作用についての自覚があったのだとしたら、それは自分のつくる音楽と同じ姿勢だ。
そしてそれを他人に見せつけようとする人間はそれぞれそうせざるを得ない事情があるのだろうが、総じて変態だと思う。

この上なく自己弁護になるが、変態と真摯とは自分の中でほとんど同義だと思っている。
無意識内には美しいイメージと恐ろしい思考、おぞましい欲望やイメージなどの狂気が同居しながら潜在しているはずで、自分はそれをサイケデリックと呼んでいるのだが、
そのサイケを露わにすることは現代社会生活を送る上ではタブーとされているし、
そもそも人はそういう自分の中のものを自分で見て壊れてしまわないように無自覚に抑圧して日々を送っている。
そういうものと正面から向き合って自覚していくことはとても勇気のいることで、自分自身に対して本当に真摯だと思うし、
そういう姿勢を社会との関係性に置き換えていくことは世界に対して真摯であると思うからだ。

そしてそういうものを晒しても咎められることなくむしろ受け入れてもらえるのが創作という場所だ。
自分が身を投じたそういう場所について考えながら帰途に就いた。