東京都現代美術館へ特撮博物館と日本ファッションの未来性展を、下北沢ザ・スズナリへ少年王者舘を観に行った。
【特撮博物館】
これまで特撮やヒーローものなどいわゆる男の子が熱を上げるようなものに興味がなかったので、同時開催の日本ファッションの未来性展の次いでに覗いてみようという程度の気持ちで観たのだけれど、むしろこちらの方がメインイベントになり、流したエリアがあったにも関わらず三時間以上も特撮で過ごした。
歴代のウルトラマンやゴジラシリーズで使われた古いミニチュアたちは経年劣化で色褪せた雰囲気が美しく 、自分が生まれる前に作られたものや放送されたものからは当時の日本の熱のようなものを感じた。
時代が新しくなるにつれて作風がどんどん暗く、絶望と希望というテーマが重く圧し掛かってくる。
娯楽から社会性を持ったものへと移り変わっていくさまを辿っていく。
この展示でいちばん心を動かされたのは、いまの時代にCGなしですべてアナログで映像をつくろうという試みとその制作風景だった。
爆発シーンでもキャラクターの歩くシーンでもいい。ほんの数秒のカットの裏に、驚愕のアイディアと気の遠くなるような作業量が存在しているということに気付く。
そこに一切の妥協はなかった。
よく考えてみれば音楽制作でも同じだ。同じ事をしている。
聴こえるか聴こえないかという音をこのタイミング以外にはあり得ないというポイントに配置し、弾き方歌い方のニュアンスを何十回百回以上録り直し、リズムのタイミングを1ミリ秒単位の世界で見ながら組み上げていく。
すべてはリアリティを感じる作品でありたいがため。
隙があってはダメなのだ。
手抜き工事はいずれ発覚するし、そこから腐蝕する。
でも、この展示を観て感じたのは、まだまだ自分は甘いし妥協があるかもしれないということだった。
もっと感覚を鋭敏にし、虚構をさも現実と見間違うくらいに作り出さなければならない。
そしてそれを非現実的に破壊し再構築する。
そういった厳しさがある反面、制作風景の映像の中では作業している人たちがみんなわくわくしながら作っていた。
これぞというアイディアを話し合っては嬉々とし、緻密に組んだミニチュアを使った爆発シーンを撮っては歓声に沸く。
これがあるから創作はやめられない。
いい大人が集まって真剣に公園の砂場で砂遊びをしているような感覚だ。
こういう感覚を共有できる人と創作というものはやるべきだろう。
自分自身のために。
作品のために。
【日本ファッションの未来性展】
ギャルソン、ヨウジ、イッセイミヤケから現在までの日本の世界におけるファッション文化の移り変わり。
やはり最もエネルギッシュで、ファッション業界に巨大な一撃を喰らわせたのはギャルソンやヨウジ、イッセイミヤケの時代だと感じた。それ以降はどうもインパクトが小さいし、どこか表面的に見えてしまう。
特撮博物館のパネルで紹介されていた、ウルトラマンのキャラクターデザインを手掛けた成田亨氏の言葉が思い出された。
正確には忘れてしまったけれど、デザイナーがデザインすると一番肝心な部分が抜け落ちてしまうという内容だった。
以下はwikipediaからの引用だが、これとほとんど同じ内容のことが書かれていたはずだ。
『デザイナーが表現の初期衝動を大事にせず、物のかたちの根底や問題の根底を問わず、既存の怪獣デザインの枠内だけで怪獣のデザインを考える安易で狭い姿勢をとり続ける限り、既存の怪獣の単なる組み合わせや複雑化などデザインの堕落が進むと批判した。「新しいデザインは必ず単純な形をしている。人間は考えることができなくなると、ものを複雑にして堕落してゆく」』
成田亨(Wikipediaより)
ただ、特撮に体力と時間を使ってしまい、流すようにしか観ることができなかったのが悔やまれる。
できればもう一度行きたい。
【少年王者舘】
地元名古屋の劇団。名前こそ知ってはいたけれど、初見。
映像、芝居、ダンスなどを絡めた、とてもサイケデリックで精神的に作用してくる舞台だった。
和装で舞台美術も昔の日本だったりして、どこか寺山修司の世界観の匂いもする。
何度も繰り返すシーンや台詞はループミュージックのようなトランス状態を引き起こし、
ほとんど支離滅裂だが皮一枚で繋がっているようなストーリーは、統合失調症患者のあたまの中の世界のようで、それを仮想体験してしまい結構怖かった。笑いを誘う箇所も多かったけれど、だんだん笑えなくなっていくのは自分がその世界に取り込まれてしまったからだろうか。終演後、正気に戻るのにいくらか時間が掛かってしまった。演者は終演後にすぐ客と挨拶を交わしたり話したりしていたけれど、よくできるなと思いながらそのやりとりをぼんやりと見ていた。
作用してくるものが自分の作る音楽に結構近いような気がした。
音楽に関してはまだやりようがある印象があったし、絡んでみることができたら面白いかもしれない。