2012年6月2日土曜日

FUKAIPRODUCE羽衣 LIVE Vol.6


FUKAIPRODUCE羽衣(以下、羽衣)のライブを観てきた。
羽衣は一風変わったミュージカル=「妙ージカル」というスタイルで活動している劇団だ。
詳しくはこちら。

舞台作品と平行して、これまでの舞台で使われた楽曲を生演奏を率いて歌うという活動をしている、とても面白い劇団だ。

今回、羽衣を初めて観たのだけれど、上手く見せようなんて気がさらさらないような歌も身体も荒っぽい場面があり、切なく美しく歌い上げる場面も笑いを取りに来る場面もあり、とにかく振り幅が大きくて、いつの間にか演者が乗るジェットコースターに同乗させられて急上昇し急降下、旋回し再び急上昇するような、あっという間の二時間だった。

内容は、いわゆる「青少年少女の妄想」を大いに絡めた歌詞・台詞を載せた音楽と、汗だくで動き回る身体を軸に展開する。

「青少年少女の妄想」なので、下の話、性的なことばが多く出てくるのだけれど、不思議と品性を損なっていない。なぜだろうか。
おそらくそれは、なにか企みや処理とかいう乱暴な大人の性感覚ではなく、まだ性に対して罪悪感や羞恥心を感じていてそれに翻弄されてしまうとても純粋な少年少女の、美しいことばで綴られた甘酸っぱい恋の話だからだろう。
10代で多くの人が体感するむず痒さ。それを耳障りの良い音楽と、若気の勢いに似た大振りな身体、裸の心で表現する。

30代のいい大人たちが、10代さながらに、形相を変え変え歌い、汗まみれで必死に踊る。体力だって、体型だって、疲労の回復だって思春期と比べれば間違いなく衰えているはずの30代たちが。
それがとても滑稽で、とても共感でき、とても切なかった。
それでも彼らは歌い踊ることで無垢な青い羽衣を纏い、纏うことで、生きるために余計な知識や感情その他で装ってきた彼ら大人たちは裸になっているように見えた。
心が透けて見えるような、その羽衣。

なんだか、美しかった。
演者と同世代、あるいはそれ以降の世代がこの舞台/ライブを観たら、きっと似たような気分になるんじゃなかろうか。

公演後、帰り道でものすごく切ない気持ちに襲われた。
胸がぎゅっと締め付けられる、電車の窓に流れる景色を見ているようでまったく心ここに在らずの、気を抜いたら泣いてしまいそうになる、あの感覚。
懐かしい記憶を掘り起こされたからだろうか。
二度と訪れないあの時代を悔やんでいるからだろうか。
いま、恋をしたい、と思った。

友人に子どもができたり、人と結婚や子どもの話をすることが最近多くあり、そういうことについてはじめて想いを巡らせているのだけれど、
そんないまこそ、純粋な恋をしたい、と思った。


座って観ていただけなのに、ものすごくエネルギーを使ったようで普段にない疲労を感じた。
それは舞台上で繰り広げられる、ものすごい声量とぶんぶん振り回す身体を観てのことではなく、きっと感情が色々な方向に揺さぶられたからだ、と思う。
それはいい舞台、いいライブの証拠だ。
また、舞台やライブで感じたことを日常生活に持ち帰って、自分の一部にすることができる作品は、すばらしい作品だ。

観客がこれだけ疲れるのだから、演者は精根尽き果てているはずで、
そんな中、公演後に相手をしてくれた演者さんたちにとても感謝しています。

そういうわけできょうは精魂を使ったので、
帰り道に鰻を買って夕食を少しだけ贅沢にした。
今夜はよく眠れそうだ。



それにしても公演後、出演者にすごく良かったことをできるだけ多く伝えたいのだけれど、こちらも気分が高揚しているからなのか、ことばを重ねれば重ねるほどどんどん薄っぺらく伝わってしまっているように感じてしまうのはどうにかならないだろうか。
作品で伝えてくれたことに対して、ことばで返すことがまったく見合っていないように感じて、そういう場面に出くわすと毎回悶々とする。

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